2010年09月30日
仮設道路
↑この道、どこか分かりますか?
答えは、渡嘉敷久~阿波連まで繋がる仮設道路。
あれは忘れもしない2001年9月。
ちょうど、「9・11」のアメリカ同時多発テロがあった時のことです。
台風16号が11日間も沖縄近海を不規則な進路で迷走して、沖縄各地で長期間に亘り暴風と大雨。
渡嘉敷島にも大きな被害を残しました。
その大きな被害の一つに、渡嘉敷~阿波連を結ぶ村道の崩落。
おかげで、交通が遮断された阿波連区は孤立状態。しばらく、同じ島の中を船で行き来することになりました。
そして、そのあとに完成したのが写真にあります仮説道路というわけです。
今でこそ一方通行の道路ですが、その当時は交互通行。
所々にある退避所を使いながら、狭い道路でマイクロバス同士が行き違いをしたものです。
今考えてみれば、すごいよな~。
Posted by おでちん at 15:16
│おでちん
この記事へのコメント
「あれから9年」ですか・・・。
おでちんの言うとおり「仮説道路」が出来るまで「人も荷物も船での移動」でしたね。
そして、仮設が出来た後は、バスが「悲鳴」を上げながら阿波連側からも渡嘉敷港側からも「上り下りの繰り返し」で「往復」していたことを思い出します。
今後も、あのような災害が島に起こらないことを祈ります。
おでちんの言うとおり「仮説道路」が出来るまで「人も荷物も船での移動」でしたね。
そして、仮設が出来た後は、バスが「悲鳴」を上げながら阿波連側からも渡嘉敷港側からも「上り下りの繰り返し」で「往復」していたことを思い出します。
今後も、あのような災害が島に起こらないことを祈ります。
Posted by コダマ at 2010年10月01日 15:09
まさしく あの時 SFにいました…。
3日間部屋にこもって、停電なったり、時々ついたりの中、911の事も 当時使っていた ケータイ繋いで見てた小さいモバイル宛てにきたメールで アメリカで何かがあった…って事くらいしかわかりませんでした。
すごい暴風雨の中、スタッフが部屋までお弁当届けてくれてましたね。
台風明けて 晴天の中、阿波連港から 島を半周して 渡嘉敷港まで移動した事は 忘れられません。
3日間部屋にこもって、停電なったり、時々ついたりの中、911の事も 当時使っていた ケータイ繋いで見てた小さいモバイル宛てにきたメールで アメリカで何かがあった…って事くらいしかわかりませんでした。
すごい暴風雨の中、スタッフが部屋までお弁当届けてくれてましたね。
台風明けて 晴天の中、阿波連港から 島を半周して 渡嘉敷港まで移動した事は 忘れられません。
Posted by BLUEMOON at 2010年10月01日 22:32
コダマさん、コメントありがとうございます。
そうでした!カーブが多くて急勾配な坂道をバスが悲鳴あげて走ってました。
おかげで、バスの運転技術も磨けましたけどね(笑)
BLUEMOONさん、コメントありがとうございます。
えっ!?あの時、泊まってましたっけ?
逆に、そっちにビックリです(笑)
そうでした!カーブが多くて急勾配な坂道をバスが悲鳴あげて走ってました。
おかげで、バスの運転技術も磨けましたけどね(笑)
BLUEMOONさん、コメントありがとうございます。
えっ!?あの時、泊まってましたっけ?
逆に、そっちにビックリです(笑)
Posted by おでちん at 2010年10月05日 18:03